イカックン先生のぼんやり記録

北海道で小学校の先生をやっています。サッカーが好きでとくにアーセナルのファンです。また、読書も好きなのでその辺の話が多くなります。よろしくおねがいします。

指名の仕方について

 こんにちは!イカックンです。

 

 今回は指名の仕方について記事にしたいと思います。結論からいうと指名の仕方はたくさん引き出しがあるほうがよいです。

 色々な教育本でも挙手-指名一辺倒の指名の弊害については述べられているため、あえてここでは述べる必要もないかと思います。ただ、個人的には一辺倒である、ということに反対であってあくまで、実用のバランスという次元の話だと思っています。

 さて、指名の仕方もたくさんはあるのですが、「子どもから子どもへの発信」というテーマに即して、子ども同士の指名について考えていきたいと思います。

 これも結論から述べさせていただくと出来ないよりは出来た方がよいです。これをトレーニングし、例を示し、出来た子を価値付け続けると前述した「□□くんは△△についてどう思う?」という子の姿が見られるようになります。

 具体的には、話合いの目的から確認をします。つまり、学習者はだれか。という問題です。すると、子どもたちは自分たちだ。といいます。

 それに対して教師は、じゃあ、誰に話をすればいいのか、ということを問います。

 すると、素直な子たちなら子ども同士をみて、話を始めるようになります。そこですかさず目を見て話をすると相手が信頼する仲間かどうかがわかるよ。と指導します。

 そのステップの後、じゃあ、君たちだけで話進めていいよ、と促し、発言者が次の子に当てていいことをつたえます。これで、お互いの指名方法を身につけさせることは終了です。

 ただ、これも一辺倒ではいけませんし、これのみでやっているわけではありません。前述したように指名の仕方はたくさん引き出しがあった方がよいです。それは、どんな方法でもメリット、デメリットがあるからです。しかし、メリットがあり、それが教師の価値観と一致するのであれば、出来ないよりは出来た方がよい。というのが、私の考えです。

 次回は、この指名のデメリットと、そのデメリットをすこしでも埋める指導の工夫について述べていきたいと思います。

 今回はここまで!さようなら!!

 

声に出さない反応の仕方

こんにちは。イカックンです。
前回の反応の仕方が途中になっていたので、その続きから記事を書きたいと思います。
前回、声に出して反応することを指導することについて触れましたが、今回は声に出さない反応の仕方について述べたいと思います。
なぜ、声に出さない反応の仕方を取り上げるかというと、自分たちのことを振り返ってみれば至極当然のことだからです。つまり、私たち大人も常に声を出して反応をしているか、ということです。「うなづき」や「首をひねる」といったことは立派な反応ではないでしょうか。常に声を出せ、という指導は子どもにとっても辛いでしょうし、なにより、内気な子も学級には当然いるのです。
ただ、何度も述べさせていただいているように、学級とは、学ぶという同じ目的意識を持った仲間であり、一人一人が学びに対しての責任がありますから、反応自体は示すべきです。とくに仲間の発言には、マナーとしてもなんらかの反応は必要です。
そして、教師は声に出している、出していないに関わらず、反応している子を価値付け、ときには「〇〇くんは、いま、首を大きく捻ったけど、どこが納得していないの?」と子どもたちから考えを引き出し、子どもたち同士の考えをつなげることも可能となります。
それを続けていくと、今度、子どもたち同士でも、話を掘り下げていけるようになります。
例えば、まったく手をあげない子に対して、休み時間等、ほとんど関わりのない子が、「□□くんは△△についてどう思う?」などといった姿がみられます。
次回は、そのような子どもから子どもへと話合いが展開する指名の方法について記事にしたいと思います!

反応について パート2

こんにちは。イカックンです。
前回、反応の仕方について記事にしたので、その続きをしたいと思います。

まず、反応の仕方についてはじめは、前回の流れのように全員に声を出させます。ある種、厳しく指導し、全員に学びの責任意識を持ってもらう意図をもって指導します。
また、友達の発言に対して反応しないのは無視していることと同じことだと教師の意識を共有させます。

そのステップがあった後、教師側の方がすこしずつ譲歩をしていきます。というのは、目指すべきは子どもたちの「自然」な反応であるべきだからです。
つまり、はじめは教師から強いられた「不自然」なものを与えられ、それを徐々に学級として消化し、上手く表出できた子の反応をとりあげながら、「自然」で、言いたいことが受け入れてもらえる支持的風土の醸成を目指していくのです。
そのための譲歩というのが、声を出さなくてもよい反応の仕方です。
ただ、声を出す、出さないは関係なく反応自体は全員しなければならないことは一貫して指導をします。
次回、声に出さない反応について記事にしたいと思います。

さよなら!!

反応の仕方について

 こんにちは。イカックンです。

前回、反応についてすこし触れていました。

また、随分前に反応することの賛否についても触れていましたが、ルールの徹底が必要かと思います。と、いうのもどこで反応すべきか、またどこでは反応しないで、しっかり聴くのか、ということです。

 つまり、先生が話している時はしっかり聴く。また、友達も話している途中は反応しないで最後まで聴く。ということです。

 このルールなしに、いつでも反応していいよーとなるとそれはそれで授業がしっちゃかめっちゃかになります。笑

 

 すこし話がそれてしまいましたが、反応は自然な方がよいです。自然な反応とは、自分の言葉ということです。したがって、「同じでーす」や「違いまーす」は、とても不自然で気持ちが悪いです。(個人の考え方なので悪しからず)

なぜならば、常日頃例えば、公園で友人と遊んでいるとして、Aが「⚽️しよう!」B「同じでーす」C「違いまーす」…。汗

 あまりに不自然です。笑

 なので、同じは同じでも、「同じ同じ」や「自分もそう」とか「うんうん」の方がよっぽど自然です。

 ただ、あくまで問題は自然か不自然かなので、例えば、「そだねー笑」とかいう子は授業として不適切だ、といってバッサリ切り捨てます。

 これをまずは、全員が参加するように促します。このまずは全員ということが大切です。あとからそのタガは外すことになるのですが、授業には全員が出席者ではなく参加者になるべきです。子どもたちは学び手として責任を持つべきだとある種、はじめは厳しく指導します。

 全員が反応をすると、全員で問題を解決していこうとする風土が出来てきますし、それは子どもたちとの共通体験として残ります。

 そのタイミングで、⚪︎年⚪︎組は全員で問題に向かう素晴らしい学級だなーと時には大げさにフィードバックしていきます。この学級で一年間学べばお互い得られるものが多くなるよ。今後の見通しも伝えておきます。

 

 その意味で、学級経営的にもわたしは反応は大切だと考えているのです。

 こんにちは。イカックンです。

 さて、今回も「子どもから子どもへの発信を目指した授業」の続きを記事にしていきたいと思います。

 前々回の話で、「聴く」ことを指導されて子どもたち。もう、自分たちは大丈夫。できる!!まさに敵なし!笑

 自信満々です。

 

😗「…いや、君たち、できてないよ。。。」

 

わざと持ち上げて落とす…意地悪いですね。笑

😗「なにが、できてないって、反応ができてない」

とか、なんとかいった後、実際に子どもたちにやらせます。

 

だれか一人。この時は活発な子の方がいいですね。

 先生に昨日の出来事を話して。と指示します。

その子は、一生懸命に話をします。が、一切先生は反応しません。

 その後、気持ちが良かったか悪かったか、尋ねると大抵、後者だといいます。

 それって本当かどうか、ペアを組ませて全員に体感してもらいます。

 みんな、「先生、気持ち悪い」っていいます。

😂「なんか、先生が気持ち悪い人みたいじゃないか。笑」

 

 そんなこんなで、反応の大切さを理屈云々より先に体感させます。

 そうすると素直な子どもたちは、授業でも他の発言者の方にしっかり体を向けて反応をしながら聴くようになります。

 こんな風に「同じでーす。」「違いまーす。」

おそらく、話型として教えられたことがあるのでしょう。

 わたしは、低学年や学級の実態を考慮してということでは話型はとても重要だと思いますし、そのステップは必要だと思います。

 ただ、このステップでとどまってほしくないので、また意地悪をいいます。

 

 😗「不自然。」

 

本当、性根からの意地悪いやつです。笑

 

今回はこれ以上、意地悪な人だとは思われたくないので、ここまでにしたいと思います。

 

また次回!!!

蹴り初め

 今回はすこし脱線して…。

 

今日はステキな出会いがありました✨

というのは、かねてより身体を動かしたいなーっと思っており、社会人のフットサルチームを探しておりました。

 その折、とある個人経営のスポーツ店にフラッとはいったところ、その店長さんがこれまたすごくいい方で…ついついお話が長くなってしまいました😅

 その話の中で、前述したような内容をお話ししていると、その奥で聞いていた方がそしたら今から参加しますか?

 とのこと。

 

…早っ。笑

 

 つーことでフットサル始めます。こーいうのは、タイミングも大切ですよね。笑

 そのショップでルースイソンブラの福袋もgetできたし、ひじょーに満足でした。

 

 話が二転三転しますが、本日、いきなり知らない人たちの中にポーンと入って球をけったわけですが、そんな中で、「あいさつ」ってすごくすてきだなーって感じました。

 「あいさつ」って知らない人にも気軽にできますよね。んで、こっちからさされるチャンスでもあると思うんですよね。

 自分だけかもしれないですが、はじめさされないと、どんどん受け身になっていくんですよね。とくに知らない人たちの集団のなかだと。そして、沈黙の時間が続くとそれはそれで、あんまり喋るの好きじゃない人なのかな、とか人と距離をとりたい人なのかな的な第一印象になるんじゃないかと思うんですよね。

 

 そんな嫌な流れを打ち破る必殺技が「明るいあいさつ」なんです✨

 そういう意味でも、やはりあいさつは人とのコミュニケーションの第一歩。

 これからもあいさつは大切にしていきたいですよね。

 

 それでは、みなさん、元気な声で…

 

さようなら!!!

 

「子どもから子どもへの発信を目指した授業」

 こんにちは。イカックンです。

 前回は、なぜ「子どもから子どもへの発信」を目指すのかといった目的意識についてお話をさせていただきました。

 さて、そこから〜♪

…というところなんですが、どこからどう突っ込んだらいいのやら。笑

(←完全なる見切り発車。。笑)

 

 まあ、今回は「きく」ことについてお話していきましょう。

 「きく」っていうのは「聞く」と「聴く」と「訊く」がありますよね。

 

 すくなくとも「聞く」と「聴く」くらいの使い分けは子どもにも教えたいな、と思っています。

 と、いうのはせっかくいいことを友だちが発言していたり、教師が発問したことを「聴いて」ほしいと思うからです。

 

 じゃあ、「聞く」と「聴く」のちがいとは、というと「hear」と「listen」のちがいと押さえて問題ないと考えます。

 つまり、無意識的に音としてきこえることが「聞く」。意識的に音を拾い、頭の中で音に意味づけをし、理解をしようとするのが「聴く」だと思います。

 もちろん、子どもたちに要求するのは後者です。しかし、子どもたちに降ろす時には、その発達段階や学級の実態に応じて、どこまで話すかは変わってくるでしょう。

 ただ、いずれにせよ後者は他者とのコミュニケーションを積極的に図ろうとする行為であると理解することができます。

 その上で、よりコミュニケーションを円滑に進めるために、「相手の目を見て」「相づち」(授業中の相づちを認めるかどうかについては、うちの職員の中でも賛否があるように感じます。ただ、この相づちについてもルールはあるので、今度また改めて記事にしたいと思います。)「うなづき」といった指導事項がでてくるように思っています。

 「聴く」という漢字には「耳」「+」「目」と「心」がはいっている漢字だと、それに私は「頭」も入れてはじめて「聴い」ている状態だと考えていると。

 しかし、まあ、「聞く」とはちがうってことを子どもたちのなかで押さえるので十分かと思われます。そして、4・5月中には徹底的に学級へ定着させていきたいと常々考えております。 

 

 

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 いま、新幹線のなかでそろそろトンネルにはいりトンネルにはいろうかというところなので今日はここまで!笑

 

 

さようなら!!!